「藪蛇(やぶへび)」bamboo1.gif

年も秋分に入り、10月より翌年の2月頃までが竹を伐採する時期となります。その頃には、竹林から刈りだした大量の竹をそれぞれの寸法に合わせて束止めをし、各所に50束とか100束、又は300束と積み上げて、出荷を待ちます。 

出荷までの間に、積載された竹がある場所を点検に見回ることがしばしばあるのですが、竹まで30メートル先ぐらいまで近づいた時に、突然積まれた竹のあいだから50~100匹もの蛇(アオダイショウなど)がいっせいに鎌首を持ち上げたて立ち上がることがあるのです。その突然の有様にはほんとに驚かされ、それでも、その見事な壮観に「藪蛇」とは全くこのことかと感動してしまいます。 

蛇はそのまま竹の先の方向へそろって逃げ去ってしまいます。それでも、一度藪をひとまわりし、元の場所に戻って来ると、今度は蛇は立ち上がらずにそのまま竹の先へ逃れていきます。そして人が立ち去ればまた元の竹の中に戻ってきます。水分をたくさん含んで、ひんやりとしたそこは、蛇にとっても安らぎの場なのでしょう。

「竹筏の川下り(近代における竹の運搬)」
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(十日戎) 於当社ビル玄関


京都山城で切り出された竹は、筏を組み大阪へ運ばれます。桂川、宇治川、木津川の三つの川が八幡で合流し、淀川となって、山崎、樟葉、枚方、守口、毛馬と下ります。1枚300束の筏を3組(千束)ほど、それに(米、衣類他をのせた)小筏を付け、数日かけて毛馬から浪速の大川に入り、大阪の店の浜まで運んでくるのが常でした。 

明治に入ると毛馬に閘門が設けられ、筏の組幅もそれに合わせた寸法になりました。この閘門では、筏差しの技がおおいに発揮されました。毛馬の手前で先ず一時止まり、開門と同時に大筏と小筏を切り離して急流と共に流れ入ったのです。その後堀川に入り、店の浜から倉庫に水揚げしました。 

毛馬の閘門近く開門を待つ大筏の数々、その風景はみごとであったといいます。時に鯉が、3段に積み重ねた竹の筏にはさまれると出ることもできず、つかみ取りになりました。幼い子供心に、鯉が多いときには5、6匹も来ると、筏が着いたと知ったものです。

余談ながら、鯉が弱ったものには、へっついさんのススを鯉の口にいれてやると、不思議に元気になったものです。

「竹と天神祭」
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雅路の天神講

5、6月頃になると地元では天神祭の準備が本格的に始まります。弊店でも天神祭で使うさまざまな竹を吟味厳選して準備し、祭の日を迎えます。

毎年、真夏7月24・25日は、日本三大祭のひとつ天神祭が斎行され、地元は祭り一色に染まります。

ここ西天満のザ・セヤマビル1階ショールーム雅路にも7月24日宵宮の日には、獅子舞や太鼓中の願人、各講の渡御列に参加の人々が訪れては 威勢の良い「大阪締め」が始まります。

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